8・15㈫のブログで、お知らせしたAweko Babraアウェコ (3年生)の件の続報:ようやく、例の夫婦の妻が図書館に来ました。応対はマズマズで、「分かった。明日からはちゃんと学校や図書館に間に合うように家を出す!」と約束。 しかし、しかし、その翌日から三日連続、全欠。金曜は、2学期の最終登校日(=通知表をもらう日)、「まさか、今日、欠席ということは無いだろう…」と学校へ。 夫婦の実子二人は登校していましたが、Awekoは・・‽ 他の支援子供たちの話では、自分達が登校する時、彼女が夫婦と一緒に畑に向かう姿を見た、と。学期最後の集会が終わる少し前、ようやくAwekoが登校! 再度、夫婦を呼び出そうとするも、ラチがあかず・・・、LC(各地区毎、住民に選挙される村議会?員たち)の長やCFPU(児相のような働きをする、警察の組織の一部、なので怖がられている)に介入を依頼、呼び出しに対し、「行く、行く」と空約束ばかりで一度も姿は見せず、ナンダカンダとグズグズ言ってはいたものの、遂に、2学期から支援開始したP. Gifty(“就学支援“の欄でご紹介済み)の家族からの申し出を有り難く受け、引き取ってもらうことに同意させました! 翌日からAwekolは、Giftyと姉妹のように一緒に笑顔で図書館に・・・。この後も夫婦がAwekoのモノ(支援子供たち皆に支給している制服、ジャケット、体操着、カバン、靴、文房具等々)の引き渡しを拒み、スッタモンダありましたが、一応解決(but 体操着と靴下、ノート数冊は、見当たらない、と・・)しました!
Awekoの件と相前後して、あと2件“保護者問題”が発生。
うち1件は,A.
Kenaケナ(2年生)の、生後間もなく彼女を祖母(亡実父の母)に預け音信不通だった実母が、再婚相手の夫とその間の子供と共にKitgumにもどって来、Kenaは、母たちと暮らしたい、と祖母の家を出、戻りません。10年以上Kenaを養育してきた祖母やその親類一同は大反対。UGでは、こういう場合、祖母側に養育権が認められ、母側には無いそうです。これも数度にわたるスッタモンダの挙句、LCたちの介入で、何とか元通り、Kenaは祖母たちの元に帰り、一応落ち着いています。
さらにもう1件は、Ag.
Nancyナンシー(3年生);両親を亡くした後、彼女は叔父(実父の弟)夫婦に引き取られていましたが、最近結婚した実姉がKitgumに戻って来、その姉夫婦と暮らしたいと、これまた断りなく姉の元に行ってしまい戻りません。話し合いをしようと姉に何度も働きかけてもナシのツブテ。 CFPCの力で、タウンで働いている姉の夫を見つけ出し、連絡。姉自身は遂に姿を見せませんでしたが、叔父の妻と伯母(亡実母の姉)にもきてもらい、LC立会いの話し合いの結果、Nancyは元通り叔父夫婦の所に戻り、こちらも一件落着。
そんなこんなで右往左往しているうちに、2学期終了後の長期休暇も残り少なくなってきてしまいました! 2学期終了直後に撮った写真をupしようと思いきや、ugh~~、停電丸々3日!! よ~やく,発電機onのWar Museumで、UP!!! (by Gum氏 as usual !!)
長期休暇中、特別費用を負担できる家庭の子ども達は、いつもの学校に通い、いつもの先生から”補修”、”特訓”を受けますが、PRAfricaの支援生たちは、図書館でタダでお勉強! 午後組の子どもたちの後方の2名,左:Lawrence, 右:Emmanuelは、共に優秀な高校生。休暇中、子どもたちの勉強を見てくれています。欠席1名。
遠方(片道約1時間~2時間)から、歩いて通ってくる午前組の子どもたち。午前組、午後組ともに、2学期の努力の成果が詰まった通知表を手に、”余裕?自信??”の笑顔です。